自己否定から自己肯定へ照ちゃんの道のり4

魂を照らす「照乃ゐゑ」オーナーの照ちゃんです。

前回のブログの最後に、

 

自分が生を授かった地に行ってみて、

何かを感じてみるのも楽しいかもしれません。

忘れていた、お空の約束、思い出すかも・・・(笑)

 

と、書いたのですが、

今日は、そんなお話から、

自己肯定感が芽生えた話を書こうと思います。

 

私の場合なのですが、

自分の両親を否定すること=自己否定すること

が、繋がってゐた氣がしてゐます。

 

その前に・・・・、

赤ちゃんは、親を選んで生まれてくるっていう話をご存じでしょうか?

私が、そのことを知ったのは、長女を妊娠した時。

 

友人が、『わたしがあなたを選びました』という本の詩を写して、

まるで、私のおなかの赤ちゃんから、

私に送ってきたように書いてくれたお手紙をくれました。

 

私、その時、つわりで大変だったのですが、

その手紙が本当に私の赤ちゃんから送られてきてる氣がして、

めっちゃ、嬉しくて、

 

その後、私も、友達が妊娠したら、

同じように、妊娠した友人の赤ちゃんになったつもりで手紙を出してました。

 

そして、そんなことあるんやーって興味津々になって、色々調べて、

胎内記憶の第一人者の池上明さんを知り、

なるほど、赤ちゃんは親を選んで生まれてくることを知りました。

 

自分の子は、私を選んで生まれてくるんやと自覚できたのですが、

問題は、私がなぜ、私の親を選んで生まれてきたかが、わからなかった。

その訳は・・・・?

 

下記の日記は、前回の日記の続きのハワイ旅行から帰ってきて、書いた日記。

ハネムーンべービーの私が、何を感じたか、読んでいただけたら、嬉しいです。

 

 

2011.12.29 帰りのバスにて。

すごくよい旅だった。

自分のルーツを見た気がした。

私は、あの太陽の下、風の下、

愛し合う若き二人の下に、舞い降りたのだ。

 

二人の人格に惹かれてではなく、

いや、そこまで純粋に愛し合える二人に惹かれて、

その純粋な愛を見て、舞い降りたんだと、思う。

浅はかな決断だったかもしれない。

 

でも、先を見て、不安になり、

今を楽しめない人ではなく、

今をめいいっぱい、楽しんでいる、

確かにあった、キラキラと光る、愛を尊んで舞い降りた。

 

ハワイには、そんな雰囲気が流れていた。

 

はい、2011年の日記です。

二人の人格ではなく・・・

って書いている所に、引っかかりますか?

 

うふふです。

2011年、その当時の私は、まだ、そんなことを想ってました。

今は、親を反面教師にして育ったところあるけれど、

 

父と母、二人の人格にも惹かれて私は、親を選んだんだろうなーと思います。

そして、それは、魂が成長するにはちょうど良かった(笑)

 

私は育てにくい子どもで、小さい時から、

「照代は、橋の下で拾ってきた。うちの子どもではない」

と、何度も言われて育ちました(泣)

 

本当に、実家の近くに橋があるから、

小さい頃の私は、いつも怒られて、

叩かれて、家を逃げ出して、橋の下に行き

 

「本当のおかあさん、おとうさん、迎えに来て。

私はここにいるから、御願い、迎えに来てー!!」

 

と、大声で、叫んでいたことを今でも覚えてゐます。

今から思えば、よく通報されなかったと思いますが・・・(笑)

完全に、自己否定感の中、育った訳です。

 

何をしても怒られ、

自分なんか消えてなくなりたいって思っていました。

 

なんで、私のお父さん、おかあさんは・・・・

って思っていたこともあり・・・。

 

っていうか、お父さんとは私の顔はうり二つなので、

誰が見ても、完全に親子ってわかる感じだったのですが・・・・(笑)

 

(ちなみに、お父さんは、今から思えば、私を叩いたことはなく、

お父さんは仕事で不在なことが多くて、

その時期の私を知らなかったというのが、現実です。

 

一緒に住んでゐたおじいちゃんにもよく怒られて、

蔵に入れられましたけど・・・。

 

泣きじゃくる私、家を追い出される私。

裸足で、家の他の入り口から入ろうとするけど、先回りされて、

入れず、泣く私。

 

抵抗する中、抱きかかえられて、蔵に入れられ、

蔵の扉は厚くて、重くて、子ども一人では開けられず、

 

蔵には白い蛇が住んでると聞かされているので、おびえて泣く私を

ほとぼりが過ぎたころ、おばあちゃんが空けてくれました。

 

私の小さいころの思い出です。)

 

そんなこんなで、子どもの時は、

本気で他にお父さんとお母さんがいるはず!!と思っていて、

 

なんで、私は、イラン子やのに、

生まれてきたんやろうって思っていたんです(泣)

 

だから、2011年の照ちゃんの日記には、

人格に惹かれた訳ではないって言葉が出てる訳で、

どうか、お許しください。

 

そんな両親も、二人とも他界した今、心から愛してるし、

お陰で色々経験出来て、これで良かったと、

年々感謝の氣持ちが高くなっている今日この頃です。

 

本当、私の両親は、私以上に、おかしいです(笑)

とってもピュアで、とっても愛あり、

とっても不器用で、とっても、お茶目。

そして、とっても、ヘンテコ(笑)

 

そんなその当時の私が、

自分の生を授かったであろう地に行き感じたことは、

やっぱり自分で、この二人に惹かれて降りたなって思ったことです。

 

その時までは、そうは思えてなくて、

だから、自分が惹かれて、親を選んだって思えたことで、

すごく、楽になりました。

 

自ら、選んだって思えたら、ちょっと強くなれた気がました。

嫌だった想いある。

違う、両親だったら、生きやすかったのになーって思う。

 

だけど、それも含めて、選んだのは私だって認めたら、

だから私はどう生きる?

って氣持ちにやっとなれました。

 

生まれて来ても、良かったんやって、

やっと自分を心底、許せたような・・・。

 

(ようなって書いてゐるのは、

その後も何回もこの件の想いが玉ねぎの皮をむくように

判明するからですが・・・・)

 

そんなことで、なんでーーー!!

と思うぐらい、苦労した人生も、

肯定出来ました(笑)

ナハハです。

 

これが、自己否定から自己肯定への照ちゃんの道のり2で、

書いた詩に繋がるわけです。

 

ではでは、今回は、この辺で。

HPのブログの形式が更新で新しくなり、戸惑ったので、

昨日のブログはお休みになりました。

 

私のブログ、読んでくれて、ありがとう。

今日も、あなたの日常が、自他共に幸せでありますように。

 

Thank you.

I love you.

I’m sorry.

Please forgive me.

 

 

今日のおまけコーナー

日常が幸せな家出来ました。

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