魂を照らす『照乃ゐゑ』オーナーの照ちゃんです。
今日のブログは、昨日の続き。
『私がどうやって、自己肯定感を育ててきたか?』
という質問のお返事を書きたいと思います。
こんな風に自己肯定感をもてるようになったのは、
思い出したら、何回かのターニングポイントがありました。
その中で、一番初めに思い出したのは、
自己肯定することを自分に赦した日のこと。
私は、自己否定観たっぷりで育ったため、
足らない、足らないって、一生懸命頑張るみたいなところがありました。
今も、一生懸命だけど、
足らない、足らないって、頑張ってゐる感じではなくて、
やりたい、やりたい、やってみたいって、一生懸命、生きてゐる感じ(笑)
出来る、出来る、出来るはずだー!!
その過程を楽しみに来てるんだから、
なんにしても、泣いても笑っても、
大いに人生を今今を楽しもうっていう生き方になりました。
今から、思えば、こんな風に成長するなんて、思わなかった。
その大きなきっかけをもらったのが、実は、父の死です。
肝がんで亡くなったのですが、
その時、泣きながら、誓ったんです。
その過程が伝わるように、その当時の日記、載せます。
読んでください。
*******
お父さんが、26日、日曜日に亡くなった。
本当は、26日に見舞いって思ってゐた日に、亡くなった。
木曜から、具合悪く、金曜日から帰省。
最後まで、私には、アリガトウの言葉がなかった。
で、私は父にとって、いい娘やったんかなーとか、
親孝行できたんかなーって思うんだ。
弟やお母さんには、父は、アリガトウって言ったのに、
なんで、私には言ってくれへんかったんやー!
私も、アリガトウって、言ってもらいたかった。
でも、いい。
大丈夫。
きっと、お父さんは、心の中で私にアリガトウって思ったと思う。
きっと、思ったはずや。
だけど、言えなかっただけと思おう。
そんなときもある。
私は、お父さんに、アリガトウっていったんやし、
この世に私を授けてくれて、アリガトウなと。
それから、育ててくれて、アリガトウと。
要は、自己肯定や。
照代は、十分、親孝行した。
自分が出来る限りのね、親孝行したよ。
お父さん、受け取ってくれて、ありがとうね。
幸せにならんでもいいから、落ち着けよって言ってくれたね。
お父さんが言ってくれたように、私は落ち着いて、主人についていく。
幸せにもなるけどね、
お父さんの子供に生まれたことに感謝。
神様、じいちゃん、ばあちゃん、
先祖さん、お父さんのこと、よろしくお願いします。
**********
っていう日記を書きました。
その後、友達から、電話があり、私は、
「お父さんが亡くなったことは、哀しい。
だけど、それ以上に、私に、アリガトウって言ってくれなかったことが、哀しい。
アリガトウって言ってくれる父でゐてほしかったー!!」
みたいなことを、泣きながら、話しました。
で、泣いて、愚痴って、
これも、正しいタイミングで正しいことが起きてるって思ったら、
ピンチはチャンスって思ったら、
ふと、アリガトウって言ってもらわなくて良かったんだーって、思いました。
アリガトウって言ってもらわなかったのが、お父さんからのgiftなんだって。
笑うけど、私はお父さんからの「アリガトウ」が欲しくて、
お父さんに、アリガトウ、アリガトウって、色々伝え、
だけど、父からアリガトウの言葉がなくて・・・。
だけど、弟やお母さん、おばさんには、
病室で「アリガトウ」って伝える父がゐて、
で、私の中の自己否定がうずくみたいな(笑)
そんなことで、アリガトウって言ったら、アリガトウって返ってくる大作戦!!
いやいや、キャンペーンをしてたぐらいだったんです(笑)
笑うでしょ?
それでも、父は、「アリガトウ」と私に言わず、
私、大泣き。
そんな経緯あり、とっても、
「アリガトウ」と、言ってもらいたかった自分に氣がつき、
要は、自己肯定だってことに氣づいた。
で、次の日記に繋がります。
*********
2012.3
実は、お父さんが死んだ。
実は、じゃないね、前の日記読んでたら、
あまりにも前向きで楽しそうな私が居てね、実はって書きたくなった。
でもね、悲しいだけの死では無かったんだよ。
弟と父は仲直り出来たし、
父は母に大好きやったと、最後の言葉で言えたし、
母は喪主の挨拶で、
「私が19,○○さん(父の名前)が24で結婚しました。
□□さん(祖父の名前)、△△さん(祖母の名前)の元、
私たちは大人にさせて頂きました。
私たちは、40年間、ラブラブでした。」
という素敵な挨拶を言えたし、
弟は見合いをするって言ってくれたし、
ただの無念で悲しい葬式では無かった。
私も臨終には間に合ったしね。
だけどね、何か、悲しい。
まだ、私の心はつかめない。
これからどうしたらいいか、正直迷っている。
前の日記みたいな気分にまだ、戻れない。
同じ自分なのにね。
なんかね。私も生まれ変わりたい気分。
よくわからんけど、父の死をきっかけに、
私は自分に自己肯定することを赦すことにした。
父がありがとうって言ってくれなかったお陰で、気がついた。
人の意見に過剰に反応する自分がいるって。
もっと、自分を信じていい。
自分は精一杯してるって、
それで、よしなの。
*******
はい、こんな日記を書きました。
そして、私は、自己肯定することを赦し、
自己肯定感を持つことが、出来ました。
父が、アリガトウって言ってくれなかったお陰で、
私は、アリガトウって言ってもらわないと、
自分が認められないという思考になってゐることに氣づいて、
それは、完全に、他人軸だなって氣づいて、
また、父が亡くなったおかげで、
私も、生まれ変わりたくなって、
父がアリガトウって言ってくれなかったことを、
この痛い経験を生かそうって思って、
何があっても、自己肯定することを自分に赦し、
自己肯定するって、決めました。
そして、落ちても、また、上がるってことがわかったし、
自己否定したって、いいって思えて、
自己否定してゐる自分を自己肯定することもできるようになって、
はい、今の照ちゃん、
全肯定、全信頼、全感謝って、思える私になりました。
チャンチャン。
この文を読んで、自己否定してゐる人が、
少しでも自己肯定できるようになってくれたら、いいなー。
https://ameblo.jp/tt-teruyo-loveandpeace/entry-12004265652.html
上記のリンクは、アメブロに書いた、似たような内容の話です。
もしよければ、ここも読んでもらったら、もっと、背景がわかると思います。
そして、氣が付いた方がゐるかもしれないけど、
この父のアリガトウ言わない体験のお陰で、出来たお話が、
「ご満悦くんのありがとう」
って本なんです。
ご満悦くんのありがとうの本は、ここから、買えます。
https://www.reservestock.jp/stores/article/6105/14814
読みたいて思ったら、申し込ください。
サイン入りで、照ちゃんから送ります。
他にも、自己肯定感が育った時を思い出したので、
明日も、自己否定から自己肯定へ、照ちゃんの道のり
を書いてみますね。
照ちゃんも、自己肯定感がめっちゃ低かった。
だから、大丈夫。
アルアル!!
人は変われる♡
君も、身体を持ちながら、生まれ変わる?
「正しいタイミングで正しいことが起こる!」
「すべてを生かして、大調和」
そんなことで、コロナも生かして、生まれ変わっちゃう?
ではでは、今日も読んでいただき、ありがとうございます。
今日も皆様が、自他共に、幸せでありますように。
Thank you.
I love you.
I’m sorry.
Please forgive me.
おまけコーナー
照乃ゐゑは、通常は、月、金、で、
森のようちえんが、借りてくれてました。
しかし、コロナの影響で、森のようちえんもお休み。
で、上の文にもあるけど、
こんな時は、「正しいタイミングで正しいことが起こる」
って、思考をし、
「コロナで森のようちえんが来ないことによって、益々幸せになります。
さて、それは何でしょう?」
って、脳に検索しました(笑)
そしたら、昔は、照乃ゐゑの庭は、芝生で緑だったのですが、
森のようちえんが、来るようになってから、
芝生が子供たちの遊び場になり、剥げてしまったという現状を思い出し、
そんなことで、子どもたちが来ないのは寂しいけど、
そのお陰で、庭の緑が復活できるかも!!
ってひらめいて、
強い品種&照乃ゐゑは、蜂の巣箱を置いてゐることもあり、
クローバーの種を蒔きました。
これは、土から出てきた、クローバーの赤ちゃん。
めっちゃ、可愛い。
無事大きくなって、緑の庭が復活しますように。
ニホンミツバチの餌になり、
照乃ゐゑの巣箱の住人になってくれますように。
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